平成15年 9月14〜15日、会津若松へ、おけいちゃんに逢いに行ってきました。
ひょっとして、おけいちゃんに呼ばれたのかもしれません(*^_^*)
〜〜おけい、望郷の立ち姿〜〜
ブロンズ像 制作 NOKO さん |
明治維新とともに、会津藩の人々は、苦難の道を辿りました。 日本人初のアメリカに渡った女性、17歳の少女 おけい、 希望に満ち溢れたはずの新天地は、不毛の大地での、困難を極める開拓でした。。 おけいは周りの人々が不毛の大地にあきらめて次々と去ってゆく中、 地主のピアカンプ夫妻の元で子守りとしてつとめていましたが、 病で倒れかえらぬ人となりました。―おけい19歳― |
平成15年 9月14〜15日、会津若松へ、おけいちゃんに逢いに行ってきました。
ひょっとして、おけいちゃんに呼ばれたのかもしれません(*^_^*)
遥か遠く異国の空から、ふるさとの方角を見つめています。。。 |
♪ おけいの子守唄 ♪
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おけいの墓 生年不祥〜明治4年(?〜1871) 明治初期、会津人を中心としたアメリカ入植地若松コロニーへの移民のひとり。 |
NOKOさんのおけいちゃんのページ 参考 資料 1 資料 2 資料 3 |
戊辰戦争により、城は焼け落ち、明治政府の圧政の下、 会津藩の人々は辛酸の歴史を舐めることとなりました。 多くの城が、富と権力の象徴であるのに対して、 この会津の城は 城を心の拠り所とする、人々の熱い思いで再建されました。 幾百年の星霜とともに、会津の鶴ケ城は、これからも、 会津の人々の心の支えとして、伝えられていくことでしょう。 |